修行のすすめ   TOPに戻る
■ インド修行 報告 高野山 真言宗
野呂山 知足庵



仏教発祥の地インドで修行したい」、という願望が以前からありました。

この度、縁がございまして滝修行をさせて頂ける事になり

インド国内では衰退(仏教徒=0.7%)している仏教ですが

南インド(マドゥライ・グッドラム・ブッダパルティ)に行って参りました。

(2008/11/8〜2008/11/15)
皆様方のご支援・ご厚意に感謝いたします。

ありがとうございました。

簡単ですが、インド修行報告を簡単に致します。

INDIA
2008
11/08〜11/15



インド豆知識 (Wikipedia)

インド仏教の現状 (Wikipedia)



滝修行  (インド南部・グッドラム村:FIVE FALLS にて)

● インドの方々にとって、私たちの行為はどう映ったのでしょうか?
  布教  ● 印の結び方について話しています。 もちろん日本語ですが、心は通じたようです・・・  (印を結ぶとは)YAHOO知恵袋より

     


<インドについて>


インドの国土は日本の9倍。人口約10億2700万人。時差−3.5時間。

約7000年前にカースト制度が確立。

2600年前にお釈迦様がインド全土に仏教を広げ、その後ヒンズー教が繁栄しました。

現在は全人口の74%がヒンズー教徒。1650年頃イギリスの植民地となりましたが、

1947年8月、インドは「ヒンズー教の国インド」と、「イスラム教の国パキスタン」の

2っの国に分かれて分離独立を果たしました。






●参加者(左から)
  私(康峰) ・ 壽さん ・ 山下さん ・ 奥田さん





 南インド修行の旅 
 報告:No1  


<澄んだ目>


 私たち日本人が白衣で念珠を持って滝修行していると、インドの人達が「なんだ!なんだ、どうした!どうした」という興味津々の顔付きで集まって来ます。

その皆さんの目が、素朴な澄み切った目だったのです。(子供ではありません、立派な大人です)

私たちが手印(印を結び)で、気合(エイ!エイ!エイ!)を入れながら入滝すると、皆さん、すぐ見よう見まねでマネをするのです。

それも少し照れながら、いい年の大人が喜々とした素直な笑顔で。

私には、とても嬉しく感激しました。

人として国境を越えた親密感と同時に、好奇心に満ち溢れ活き活きとしていた頃の日本人(昭和30年代)を思い出しました。

この目の前にある”瞬間”に、自分の感情をさらけ出せる純粋さは、今の日本人からは失われています。

他人に無関心で、感情をあまり表に出さず、日々黙々と暮らしている日本人の姿が急に寂しく思えてなりませんでした。

素朴・純粋・素直・正直・謙虚・感動・・・・

豊かさの中で日本人が何時かしら失った大切な心が、ここインドにはある様に思えます。


集まって来られたインドの方々、あなた方の澄んだ目をいつまでも忘れません。  ありがとうございました。

                                                                         康峰






INDIA







 南インド修行の旅
  報告:No2   


<交差点に信号機が無い>


 私たちの訪問した南インドでは、多くの国と同様に交通量の多い交差点でも当然信号機も横断歩道もありません。

色んな方向から車や人が交差点に入り乱れて入ります。見ていてハラハラします。

でも良く見ると、すべての車が交互に交差点に進入し、交互に出て行きます。

歩行者は、車のすきまをぬって道路を横断して行きます。

当たり前と言えば当たり前ですが、どう思われますか?

規則厳守が正義の今の日本で、両方とも無かったら・・・想像もつきません。事故・渋滞など・・・。

ここでは自分勝手にそれぞれが行動しているのに、見たところ問題が起きていない。

無秩序の中に、平然と秩序が成立しているのです・・・。

つまり、自己判断・自己責任の下に社会生活が成り立っているのです。 (少し前の日本でも、普通の光景でしたね)

当然、日常生活もすべてこの調子で日々平和な暮らしがここにはありそうです。

ちなみに、ここでは何年もの間、殺人事件は無く、離婚もなく、喧嘩も少ないそうです。


突出したIT産業のいびつな経済発展から取り残された民衆や、宗教対立・テロ・パキスタン問題・・・など

色々な問題を抱えるインドですが、私の見たここインド南部は、

人間らしく生きている人々の生活しか、目に入りませんでした。

久しぶりの良い空気を、ありがとう。



                      


                           



 南インド修行の旅  報告:No3 


<素足で生きる力>


これまで人類は、常に五感を働かせて生き抜き、生き残ってきました。

しかし今、インフラと生活環境の進んだ日本では、そんなものはあまり必要なくなっています。

快適で高度なバカバカしい過剰サービス社会が、生きる努力しなくても、ごく当たり前にあるのですから

(例えば、水汲みに数時間必要な国や、戦争や貧困・病気・飢餓で何万人も死んでいる国ではないという意味)。

特に若い人にとっては、生まれた時から充実した過保護な暮らしが、当たり前の生活環境です。 

(住居・水道・電気・教育・病院・交通機関・・・・・エアコン・TV・ラジオ・携帯・コンビニ・車・ゲーム・音楽・・・・)

又、日本では規則や暗黙の決まり事がはっきりしていて、良くも悪くも自己判断し生き抜く事は不必要となりつつあります。

その結果、動物的な感覚としての「生きる力」が失われているのではないかと・・・ふと考えさせられました。


少しは五感を働かせ、素足で生きる力を磨いて下さい

   ・たまには、携帯やお金も持たず街や山を歩いてみて下さい。

   ・たまには、土の上を素足で歩いたり、座ったり寝っころがってみて下さい。

   ・たまには、ナビの電源を切って、地図も持たず、知らない町に車で出かけ、ぶらりと素足で町並みを歩いて下さい。

簡単に出来る小さな冒険でも何か小さな発見があるかも知れません。


今回の旅では、素足で歩く楽しさや、喜びを思い出させてくれました。

ありがとうございました。


                                                        康峰





■ インドの人口に占める各宗教の割合 
 (Wikipediaより抜粋)

ヒンドゥー教徒73.72%  ・  イスラム教徒11.96% ・ キリスト教徒6.08% ・ シク教徒2.16% ・ 仏教徒0.71%

ジャイナ教徒0.40% ・ アイヤーヴァリ教徒0.12% ・ ゾロアスター教徒0.02% ・ その他1.44%





上に戻る



 INDIA


  
       スナップ写真



クリックすると大画面になります、異国の露地をリアルに感じて下さい。



 インド国内における仏教の現状  (Wikipediaより抜粋)

インドは仏教発祥の地であるが、5世紀から12世紀の間に衰退、十三世紀初頭のイスラム教徒によるビクラマシーラ大僧院の破壊により、
僧院組織は壊滅的打撃をうけ、インド仏教は、ベンガル地方でベンガル仏教徒とよばれる小グループが細々と命脈を保つのみとなった。

一説では東南アジア、東アジアに仏教が広まったのは、インドで弾圧された多くの仏教関係者が避難したことが理由としてあげられる。

カシミール州のラダック地方、ヒマーチャルプラデーシュ州の北部、シッキム州など、チベット系住民が居住する地方では、
チベット仏教が伝統的に信仰されている。

近年、ヒンドゥー教カーストを嫌う不可触民や下層階級の人々がヒンドゥー教から
仏教に改宗する動きがあり、公式統計では仏教徒は人口の0.7%(約700万人)に達している






仏教は


紀元前5世紀頃に釈迦が現在のインド北部ガンジス川中流域で提唱しました(初期仏教)。

又、お釈迦様生誕の地は、ネパールのルンビニーという町です



仏教はヒンズー教の中の仏教との位置付だった説もあり

インド国内では、当初迫害もされなかった代わりに

独自に発展もしなかった様です。

(Wikipediaより)






<仏教の現状>


世界三大宗教の一つでありながら、仏教を主要な宗教にしている国は少ない

玄奘(三蔵法師)が訪れた時点ですでに発祥国のインドでは仏教が廃れており

東南アジアの大部分はヒンズー教、次いでイスラム教へと移行し

東アジアでは中国・北朝鮮は共産化によって宗教は禁止され

韓国は李氏朝鮮による激しい弾圧の後現在はキリスト教に移行し

わずかに日本とタイ、スリランカに残るのみである。


※ しかし今、仏教復興の機運がインド国内で起こっています)

(Wikipediaより)





<今回訪れた南部インドでは>


特に仏教徒そのものが少なく(皆無?)

印を結び、真言を唱え滝に打たれるという修行の行為そのものが

物珍しいパフォーマンスと映っていたのではないでしょうか。

(地元の方々にとっての滝は、24h稼働のシャワーであり・洗濯場です・・・ちなみに入場無料)




よく見て下さい、隣はシャンプーしている現地の方です
手前には、洗濯場と物干し竿があります・・・・・。








修行パンフレットを 印刷する(PDF)



上に戻る




TOPに戻る